2011年05月12日

東松島市ボランティア[後半編]―Tさんのご自宅にて―

バスの中でのお昼休憩を経て、午後は私たちの班は個人宅の片付けのお手伝いにいくことになった。

駅近くのTさん宅は、午前中の泥かきの場所よりも更に川に近いエリアにあるため、津波の被害が甚大だった。
周辺の住宅を見ると、石の塀は普通に破壊されているし、ちらっと垣間見える個人宅の1階は泥まみれで破壊されている家がほとんどだった。
そして、今回作業をするTさん宅は立派な木造建築の2階建ての家だった。

今回のボランティア作業の任務は、地盤沈下してしまった家の敷地内に、砂利を埋めていくという作業で、既にどこからか運ばれてきていた砂利が庭に二山積みあがっていた。
この砂利の山を崩し、ねこやバケツで家の敷地内の沈下した場所に敷き詰めていくというのが私たちボランティアに依頼された作業である。

Tさんの話では3月11日の地震で地盤沈下した家が、4月7日の余震で、更に地盤沈下が進んでしまったとのこと。 いつ家が傾いてしまうかと思うと気が気でないとのことだった。

地盤沈下だけではなく、Tさん宅は、地震があった日には津波によって川が氾濫し、ヘドロが1階まで押し寄せ、腿につかるぐらいまでの高さになったとのこと。
私たちが作業をした日は、既にヘドロは片付けられていた。

この日はボランティアは砂利の敷き詰めが主な任務だったが、私はまだまだ泥の汚れが残る1階を目にして、Tさんに「砂利以外に家の中の掃除とか、お手伝いできることありますか?」と聞いたところ、「あ〜、じゃあね、あの床の間が汚れちゃってるから、そこをちょっときれいにしれもらえると助かるわぁ」と言ってもらえたので、私はひとり1階に入って、床の間のお掃除を手伝うことにした。

1人暮らしのTさんは、ボランティアが大勢来てくれたことにほっと安心してくれた様子で、心にたまっていたものがつらつらと言葉になってでてきた。

「いやぁ、本当に助かるわぁ。もう最近はほんとにしんどかったから。今朝も朝から気持ち悪いし、もう最近眩暈がひどくて、ひどくてねぇ。食欲も全然ないのよ…」
「お医者さんとか近くに見てもらえるところはあるんですか?」
「うん、日赤が近くにあるしね。日赤は県外のお医者さんがたぁくさん来てくれてねぇ、ほんとぉに助かってるんだよぉ。」
「そっか、そっか…」

こんな感じで私とTさんは話しながら、お互いに拭き掃除を進めていた。

「もうさ、ここ数年はずぅーっと地震貧乏なの。7年前に北部地震があってから、毎年のように大きな地震があって、壊れて、直しての繰り返し。今回は津波でやられて、もうこの家もダメかと思ったけど、もう一度だけ頑張ろうと思ってね、大工さんに頼んで直してもらってんのよ。」

Tさんの家は本当に立派な造りの木造建築で、建築のことなどこれっぽちも知らない私でも、その細かくて繊細な職人技術が感じられる程見事な家なのだ。

私が掃除をしていた床の間も見事な木が使われているのが分かる。
「この床の間立派ですねぇ」とTさんに声をかけると
「うん、床の間はいい木を使ってもらったからね、そこはそのままにしているの」

私は細かい溝に詰まった泥を歯ブラシでかき出し、水で絞った雑巾でその立派な床の間を拭いていった。
水で吹くときれいでつやつやの床の間が顔を出す。
私はそれで嬉しくなるのだけど、他の部分も拭いている間に水で拭いた部分が乾くと、そこはまた砂で白くなっている。

「これ、何度拭いてもなかなかきれいにならないねぇ」と思わずTさんにぼやくと、
「うん、ヘドロだから仕方ないんだよ。何べん拭いても白くなっちゃうの」と言う。

なんだか悔しくて、私は何度か同じ場所を雑巾で拭いてみたけれど、何度吹いても乾くとやっぱり白さが消えなかった。

Tさんは人に囲まれて、饒舌になっていたけれど、出てくる言葉は津波で受けたショックやダメージを感じるものばかりで、私たちはただTさんの話を聞いてあげることしかできなかった。


Tさんは感謝の言葉をたくさん口にした。
県外からお医者さんがたくさん来てくれていること、ボランティアがたくさん来てくれて助かっていること、そして今回のボランティア作業も感謝してもしきれない、と。
今回津波で自宅がやられてしまったけど、もう一度大工さんに修理してもらって、なんとか頑張ってみる、と前向きに語った。

2時間強のボランティア作業を終える頃には、大人数で作業したかいがあって、砂利をかなり敷地内に敷き詰めることができた。
私が掃除していた床の間はやっぱり白かったけれど、最初の状態よりは幾分かましになった。

作業を終えて、奥の部屋にいたTさんに呼び掛けると、Tさんは人数分の紙コップに温かいコーヒーを入れて、それらをお盆に載せて、持ってきた。

「本当は普段、こういうのお断りしなきゃならないんだけど、こうしてわざわざ入れてもらったんじゃ、逆にお断りできないよ〜」とボランティアの1人が言い、私たちはありがたくコーヒーを頂くことにした。

温かいコーヒーを頂いて、Tさんの家を後にした。
「またね、今度来たときには寄ってくださいね。ここら辺、桜もきれいなのよ。ほんとに今日はありがとう」
Tさんはそう言って、私たちが角を曲がるまでずーっと見送ってくれた。


3.11からもうすぐ二ヶ月が経とうとしているけれど、Tさん宅を含めて未だに周辺の家はひどい被害を受けた跡を残していた。
今回はゴールデンウィークということで、多くのボランティアが支援にかけつけてくれたようだが、この先はどうなるのだろう。今回参加した土日でさえ、定員を割れていた状態なのに。
Tさんのように、支援を求めている方は山ほどいるに違いない。その中には1人世帯の高齢者も多いだろう。

Tさんは「ボランティアの人が来てくれて頑張ってくれるとね、私もがんばろうって思えるの。1人で家にいるとね、どこから手をつけていいのか分からないのよ」と言う。
私たちが帰った後、再びTさんは途方に暮れてしまっているのではないかと心配になる。
そもそも、今までの二ヶ月もの間、一体どのようにして身内を失った悲しみと闘いながら、目の前の壊れた家を前にして日々を過ごしていたのだろう。想像することすらできないし、なんでもっと早く来てあげれなかったんだろう、と悔しさが沸いてくる。

それでも私は東京に戻ってきてしまったし、またいつ現地に支援にいけるかも今のところ分からない。
確かなことはTさんのように支援や励ましを求めている人はたくさんいて、地域さこそあるだろうが、まだまだ支援する側の人数は足りないということだ。


今回のボランティアはたった1日だったけれど、これからの支援の仕方について多くのことを考えさせられた経験になりました。

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長文・乱筆ですが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
posted by youxi at 23:47| Comment(2) | 日々感じること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東松島市ボランティア[前半編]―泥のかき出し作業―

東松島市にボランティアに行くことは当初予定していなかった。

今回のGW後半の東北ひとり旅は行く先を細かく決めることなく、出発した。最初は弘前、そして青森市へと移動し、その後は八戸へと向かった。

3日目、八戸にいた私は翌日の予定を考えあぐんでいた時、インターネット上で「7日・8日東松島市でボランティア募集」という情報を発見し、東松島市でボランティアをするという計画を現実的に考え始めた。

今回は東北の旅行といえど、当初は被災地ではなく逆に東北の美しい部分を楽しみたいと思う気持ちが強く、だから弘前では空に向かって咲き乱れる満開の桜を堪能し、望郷の思いを演劇「津軽」を見ながら感じ、ウミネコの繁殖地である八戸の蕪島では動物の生命力に触れた。一方で八戸などで震災による被害を目にしながら、被災地としての東北にも向き合わなければいけないんじゃないかという気分にもなってしまっていた。

そして、これから更に南下しようという時、向かう先で支援の手を必要としているんだったら、当然手伝うべきだろうと思い始めてた。

そんなわけで旅行4日目、八戸を昼に経ち、新幹線で二時間後には仙台に到着。

仙台駅近くのホテルにチェックインして荷物を置いた後、ボランティア情報コーナーがあるという仙台駅に再度向かった。
「助けあいジャパン」という団体が運営しているボランティア情報コーナーでは親切なスタッフの方に、ボランティアの募集状況を説明してもらった。
GW中は仙台にはものすごい数のボランティアが詰めかけているという情報を聞いていたので、どこも人が足りているかと思いきや、意外と「もうだいぶ県外の方は帰ってしまって、逆に土日は人が足りていないぐらいなんですよ」とのこと。なんと、人数が足りずに活動できなかったところもあるらしい。
私は東松島市のボランティア情報のことを尋ねると「ああ、これですね」とスタッフの方が募集情報のチラシを渡してくれた。
「明日は90名限定で仙台発着のバスが出てますよ。先着順ですが、まぁ大丈夫でしょう」とのこと。
そして「とにかく汚れるんで、汚れても良い格好をしてきてくださいね」と瓦礫撤去など片付け系の作業をする際の服装のポイントが書かれている紙も一緒に渡してくれた。
「その格好じゃぁ、できませんからね〜」と。
そんなこと言われなくても分かってます!と内心思いつつ「んじゃ、これから色々買い出しに行ってきます〜」と笑顔でその場を後にした。

そして仙台駅前のショッピングモールをうろついているとダイエー発見。
そこで、まるで小学生が履くようなシンプルな黒い長靴と、薄手のレインコート、ゴム手袋、首に巻く用のタオルを購入。
「現場は釘が落ちていることもあるから、できるだけ底の厚い長靴がいいですよ」とさきほどのスタッフに言われた言葉を思い出しつつも、他に頑丈そうな長靴もなく、ふにゃりとした頼りない長靴を買うしかなかった。そして厚手のゴム手袋も見つからず、キッチン仕事用の中厚手のピンクのゴム手袋。あとは家から持ってきた薄いマスク。うーん、頼りない格好だなぁと思いつつも、まぁこれで頑張るしかないなと腹をくくって、翌日を迎えた。

先着90名だったので、絶対にもれるまいと気合を入れて、40分も前に集合してみたものの、全然人はおらず…
ぼけっと待ちながら、出発時間を迎えた。
2台のバスが待つなか、1台目が2/3ほど埋まったところで、バスは出発。2台目のバスに何人ほど参加したかは分からないが、私のバスは30人ぐらいだった。20代〜50代ぐらいの男性が8割がたを占めていて、女性は2割程度だった。

1時間程バスに揺られて、到着したのはJR陸前赤井駅の近く。
駅近くがボランティアを運営するセンターの拠点となっているようだった。
30人は約10人ずつの3つの班に分けられ、それぞれが持ち場を持って作業をすることになった。

午前中、私の班がすることになったのは、道の側溝にたまったヘドロをかきだしていく作業だった。

私は東松島と聞いて、海のすぐそばで作業をするのかと思ったら、そうではなかった。
どうやら陸前赤井駅周辺は海からは3キロほど離れた場所にあるらしい。しかし、津波の際に近くを流れる定川が氾濫して、周辺の住宅は1階部分が壊滅状態になったり、塀が壊れるなど大きな被害にあっていた。JR仙石線の陸前赤井駅はいまも封鎖されたままだ。

ボランティアセンターのおじさんについていって、作業の拠点に移動すると、既に地元の方々が側溝にたまった泥のかき出し作業を既に進めていた。
土のう袋に入れられた大量の泥が塀の脇に固まって寄せられていた。
私の班は男性6人に私を含めて女性3人。専門学校生から50代の男性まで幅広い年代のメンバーだ。

男性たちは早速泥のかき出し作業をスタート。
そして私は地元のおじさんに「ちょっとこっち手伝って」と呼ばれて、ねこ車を渡された。
かき出した泥をいれた土のう袋をねこに載せて、一か所にまとめていくという作業。
一見楽そうに見えて、心の中でちょっと安心したものの、そんな楽なものでは全くなかった…。
とにかく、水分を吸った泥がいっぱいにつまった土のう袋が重いこと、重いこと…。
一つの土のう袋を持ちあげて、ねこに積むだけでも、私にとってはそれはそれは大変なしんどい作業だったのだ。
特に地元の慣れている方がつめる土のう袋はぱんぱんで、体中のパワーを集めて、持ち上げようとしないと、なかなか持ちあがるものではない。
それを2個か3個ねこに積んで、ほんの数メートル離れた収集場所までねこを押していくのだけれど、重さでねこのバランスをとるのさえ大変だった。
やっとこさ、収集場所に辿りついても、そこからまた土のう袋をうまく下におろすのも、なかなかコツがいる作業で、難しいのだ。

多分、慣れればなんてことない作業なのだろうけど、全てが初めての私はもうぜぇぜぇ息を切らしながら、メンバーの作業場と収集場所を行ったりきたりしていた。

10名弱のボランティアメンバーと数名の地元の方々。みんなで同時に泥かき作業をしていると、どんどん泥でいっぱいの土のう袋がたまっていく。
1人でやったら何日かかるか分からない。

あっという間に午前中の作業予定時間の2時間が過ぎ、午前の作業が終了。
私も含めて、メンバーはみんな全身泥だらけ。

短い時間だったが、大人数で作業した分、結構作業が進んだ感じだった。


⇒後半は 「東松島市ボランティア[後半編]―Tさんのご自宅にて―  
 続きもぜひ!るんるん
posted by youxi at 23:42| Comment(0) | 日々感じること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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